文化と偏見(『日本語中級J501』 第1課)スリーエーネットワーク

本文(第1段落)
異文化に接したとき、わたしたちはよく数少ない体験から的外れな一般化を試みることがある。「だいたい○○人は……」といった俗流民族文化論の多くはこのたぐいである。もちろん体験が少ないからといって、一般化がすべて誤っているということにはならない。逆に、体験が豊富だからといって、一般化が正しいともかぎらない。むしろ、優れた洞察力によって数少ない体験から的確に本質を抽出し、正しい一般化を行う人もいる。しかし、常識的には、少数例からの一般化は的外れである危険性が強いといってよい。的外れはやがて偏見につながる。
指導内容
筆者の主張を導く超重要接続詞「しかし」
授業の実際
(本文を一通り読んだ後で)
T :結局、体験は少なくてもいいんですか?それとも豊富な方がいいんですか?
S :豊富な方がいい。
T :どうして?
S :異文化に接したとき、わたしたちはよく数少ない体験から的外れな一般化を試みることがある…から。
T :でも、その後に「体験が少ないからといって、一般化がすべて誤っているということにはならない。」ってある
   よ。これ、どういう意味?
S :体験が少なくても、一般化が時々合ってる。
T :そうですね。時々合ってるんですね。じゃあ、体験は少なくてもいいんですか?それとも豊富な方がいいん
   ですか?
S :少なくてもいい???。
T :じゃあ、次を読んでみよう。「体験が豊富だからといって、一般化が正しいともかぎらない。」これ、どういう意
   味?
S :体験が豊富でも、時々間違う。
T :そうですね。体験が豊富でも、時々間違うんですね。じゃあ、体験は少なくてもいいんですか?それとも豊
   富な方がいいんですか?
S :やっぱり、少なくてもいい???。
T :でも、最初に「わたしたちはよく数少ない体験から的外れな一般化を試みることがある。」って書いてある
   よ。じゃあ、本当はどっちがいいの?
S :……どっちも、合ってるときもあるし間違うときもある。
T :そうですね。どっちも合うときもあれば間違うときもあるんですね。じゃあ、体験は少なくても豊富でも、どっ
   ちでもいいんですか?
S :……。
T :ところで、この段落で、一番大切な文はどれですか?
S :「しかし、常識的には、少数例からの一般化は的外れである危険性が強いといってよい。」
T :そうですね。じゃあ、結局どっちがいいんですか?
S :豊富な方がいい。
T :どうして?
S :体験が少ないほうが間違う危険性が高いから。
T :そうですね。はい、このとき重要なのは接続詞の「しかし」です。なぜなら、「しかし」の後には筆者の主張が
   あるからです。だから、文の中に「しかし」が出てきたら必ずアンダーラインを引きなさい。
コメント
「…からといって、すべて…ということにはならない。」とか「…だからといって、…ともかぎらない。」といったような部分否定的な表現が連なると、中には、筆者の主張がどこにあるのか分からなくなったり、あるいは部分否定で示された内容が筆者の主張であると勘違いしてしまったりする学習者がいるようです。事実、筆者は部分否定によって直接的に結論を述べずに、読者を「ああでもない。こうでもない。」と揺さぶっているわけですから、日本語力が不十分な学習者が迷うのもなんとなく頷けます。こんなとき、結論を示す標識として私たちを導いてくれるのが接続詞「しかし」です。接続詞「しかし」の重要性については、皆さんも受験勉強等を通じてよくご存知のことと思います。日本語教育でも同じことが言える訳で、中級後半の学習者には内容を的確に把握させる非常にいいタスクだと思います。